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芝居はスポーツだ―「できない」なら、「できる」までやるのみ―

冷泉さんが「芝居はスポーツだ」って言っていたんだけど、
ちっともよく分からなかった。
でも、今日のレッスンで、なんか、そうかもって思えた。

「わが町」第一幕を読んでいる。

【台本は平面図で、立体的にする為の作業として】

  • セリフの意味(意図)を抽出して、自分なりの言葉にしていく。
  • 気になる箇所は自分なりの言葉、現代の言葉にしていく。
  • 意味(意図)が合ってて、見てる人に伝わって・面白ければ、
    言葉は何でもOK

何かが掴めそうだったけど、こりゃ、慣れるまで、反復運動。
失敗に失敗して、成功を見出していく。
できないなら、できるまで、失敗し続け、成功を導く。

前頭葉ですることっていうよりか、小脳ですることなのかも、
お芝居って。

瞬時に平面上にあるセリフから、意味(意図)を感じ取って、
自分のセンスで、言葉を紡いで立体化する。

頭でこうしようと思っていると、それだけ誤差がでるから、
スピード(勢い)が出ない。

“瞬時”これは、小脳に叩き込まないと。
そうそう出来ることじゃないと思うわ。

今日のボールレシーブで、私の感覚と手の位置が
正確にボールを捉えた。

ちょっと言ってることが分からないね。

眼で見なくても、手を伸ばした先に、ボールがあり、
的確にレシーブすることが出来た。

これは、もう頭でこうしようっていうより、
先に身体が反応した。

この感覚って大事じゃない?

「スポーツでは野球やってた奴の方が芝居に向いてる」って、
時々冷泉さんがいうのだけど。

まぁ、贔屓目もあるだろうけど、
この「ボールを手に受けて、投げ返す」って野球が断然得意よね。

ふむ、「芝居はスポーツ」っての、なんとなく分かってきた。

冷泉さん「セリフだけど、大丈夫か?かわさき?」とか、
あーだこーだいうの
「ほんと、人が悪いわー」と私はムスッとしてたけど、
でもさ、自分なりの成功法っていうの?正攻法?を自分でつけ出して、
それを身体(小脳)に叩き込むしかないと思うのよ。

個人個人、会得の仕方や、理解するまでの時間、
その感覚って違うと思うから。

叩き込んで叩き込んで
身体で反応できるように。
読み取るのも、身体の反応。
読み取ったものを形にするのも、身体の反応。
もちろん、頭も心も鍛えるっつーか、豊潤でないと、センスが光らない。
センスなく面白くなければ「なんだそれ、つまんねぇ」って言われる。

「できない」ってことは、「できる」ってことよ。

声はギャンギャン頭から出すし。ボールレシーブもどっかいっちゃう。
バレーボールなんて、ちっとも拾えないし、トスもどっかいっちゃう。
身体も硬い。スピーチも、作文もまるで駄目。
荒武者ピラスは1段落で腰が浮いていた。冷泉さんの指示も分からない。
感想もウジウジして、何言ってるか分からない。
リズムもとっちらかってる。
音程も定まらない。ステップも踏めない。
しょっちゅう、足がつって、こむら返りをおこしていた。

ほんと、まるで駄目子だったのですよ。
あ、いまでも、「底」だったのが、「並」になったぐらいですけど。
でも、底からだったら、並は、まぁ、成長していませんこと?

「できない」ってのは、「できる」ってことより、お得よ。
冷泉さんもいってたけど、「できた」ら、
その先のポテンシャルをどう保つのか。
それって、結構過酷なことだと思うわ。

「できなかったら、できるまでやるしかない」

ま、まだ、どうも、ここが弱いなとか、
身体と声もバラバラしてるなとか、まだまだ胸を借ります。
ぶつかっていくしかねぇ!!ごっちゃんです!

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突然、ホワイトボードに「生きていくって何だ?」と書く冷泉さん
「俺、こんなの聞かれたら、腹立つよなー」という冷泉さん。
「ほんと、人が悪いなー」と思う私。

私の解は「魂の思うままに行動する」

自分がしたいと思ったことをしていくのが、生きていくことだと思うわ。
あ、犯罪とかはしないわよ。その分別はつけたいわね。
他の人の解答も面白かったわ。「我慢」とか「折り合い」とか。
へーそんなこと思うんだーって、楽しいわね。こういう話。

「生きていく」ってなんでしょうね。

(記:かわさきみえこ)

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無意識で出していた声。今バラバラだと体が感じている。

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「わが町」の台本を眺める、上山と草田

「ちょっと本読んでみるか。」と、
「わが町」第一幕を用意する冷泉さん。
普通に読むって大変よねぇ。とやっぱり本を持つと思う。
でも、前よりか、普通に読めるようになってきた私がいるわね、
と感じた。

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歩いて声を出す、バランスをとって声を出す。
セリフをいう、スピーチをする、作文を読む、歌を歌う。
荒武者ピラス。

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レッスンを受けていて、「声」を意識するようになり、
いまバラバラであると違和感を覚えるようになった。
以前までは何にも感じてなかった。

大きい声を出すことが出来る分、
肚を使った良い声の出し方がちっとも分かってない私。
まだ、声と身体がバラバラ。
肚も使えている時と使えてない時がある。バラバラ。

ま、違うなーって思えるだけ、進歩進歩。

次は、すべてがリンクするように、分からないながらも、声を出そう。

(記:かわさきみえこ)

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ある日の稽古場一コマ

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上山くんって広島県大会の空手チャンピオンなんだって。

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ちょっと、空手の型をみんなに教えている。

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さ、誰の帰省土産でしょう?

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香川出身の三宅晃幹の帰省土産でした。

ええ、あの北の大地のお菓子にそっくりなお菓子でした。
晃幹、ご馳走様でした。

こういう感じに短く載せるのもいいかな?
ある日の稽古場一コマシリーズってことで。

かわさきみえこ

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みんなの作文と冷泉さん―才能+努力これに勝ることはない―

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みんなの作文と冷泉さん
週1回提出で、いまのメンバーが10人ぐらいだから、
三週間分とかたまると30の作文を冷泉さんみますのね。
あらあら、作文に囲まれて魔法陣みたいになっていますわ。

最近の作文でキラッと光っていますのは、草田陸

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陸がもともともっている実直さに、
言葉のチョイスが等身大で分かりやすい。

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荒武者ピラス、皆の声を聞いている冷泉さん
メンバーの声は段々とよくなっています。
ほんの少しずつではありますが。
これを実践に繋げていけるかはまだ先の話。
でも確実によくなっています。

「ブログで書きますわ。」なんて言っちゃう、
気がちっさい私。
いやね、冷泉さんと飲んでいる時に、
ちゃんと話せばよかったんだけど、なんか気恥ずかしくてさ。
ほんと気が小さいわね。

話の中で「三宅と草田は芝居のセンスがいいな。」と冷泉さんが。
それを聞いた私は「だから?」って思っちゃったのよね。
いやさ、才能やセンスはあった方がいいに決まっているけれど。
だからどうしたって感じ。
センスがいい組に入ってなくて、悔しかったのかもしれない。
でも、才能やセンスがあるからって、何かが決まるわけでもないでしょ。
私は「ド根性」が大好きだから、才能やセンスがあろうがなかろうが、
1にも努力、2にも努力、3・4も努力、5にも努力。
鍛練が必要だと思うし、継続するってのも、ある意味才能よね。

と自分に都合のよい解釈をしています。

稽古場ブログもなんだかんだ私が書き始めて3年ぐらいするんだもんね。
定期的に発信しているって、これってなかなかの才能じゃない?
とはいえ、レッスンは週に2回はあるのだから、
ネタには困らないのよね。
いつも、発見がある。

才能ねぇ。
「かわさきは“何か”ある」と言われてことは多いです。
なので、やっていけるようにも思える。
一回だけ、舞台に立ったこともない小学校の同級生に
「お前なんかに才能ねーよ。」と言われた時は、
「そんなこというあんたは嫌いだ!私には才能あるわ!」
と凄い勢いで噛みついて、縁を断ちましたがね。
うん、私自身は「やってける」自信をなんの根拠もなく持っています。

人にどう言われようが、自分に自信がなかろうが、
「人前に立ちたい」「この仕事をしたい」って自分が強く思って、
それでいて、日々の努力を怠らない。
「いつか仕事が来る」と「売れる」と信じて、
今日も今日とて作文を書きます。

そこに戻るのかいって感じだけど、週1回の作文を欠かさず書くって、
なかなかな鍛練よねぇ。作文を書くためには本を読まないといけないし、
日々なんとなく街歩いているときでもネタ探ししなくちゃいけないし。
字はきれいに読みやすく。
文章も人に伝えることを意識して、声に出して発表するときも、
見ている人に届くように。

…結構なことしているわねぇ。

そういや、会長は常々こんなこと言ってたような。
「才能があるうさぎが努力してやっと得られるものがこの世界で。
でも、かめだって努力すればゴールにはたどり着ける。」

私はかめだけど、努力でなんとかやっていくわ。
だって、私が選んだやりたいことだもん。
あろうがなかろうが、私は信じて、日々の鍛練を積むだけ。

華を育てるのは私自身

(記:かわさきみえこ)

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至極当たり前のことなんだけど、人それぞれ、それが面白い

■かわさきみえこ kawasaki
 
ふたくちレッスンの感想も人それぞれ。
 
文章から、その人が浮き上がってくるような。
 
でも、それも、経験値の違いで、まだ「?」ってなる人もいる。
 
でも、それは、これから積み上げていけばいいし、
いまでも、ああ、こんな感じなのかなぁと、想像できる。
 
一人でモヤモヤ考える性質な私。
 
それを拒絶したり、無視したりしていたけど、
受け入れるってことをしてみて、そんな性質だし、しゃーないと諦めて、
人がいるワークスタジオにいくと、
モヤモヤがあっけないというか、ま、いっかとなる。
 
人それぞれ、その人一人一人が、面白い。
 
その人を見て、自分とは?と問う。答えは自分の中にあったり、
人にあったり。
 
ワークスタジオは人と出会う場だと思う。
その「人」の中には自分もいる。
 
出会って変化していく。いい変化を心がける。
 
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ふたくちレッスンを受けて―メンバーの感想・その5

■青木冬太 aoki
 
台本を使った兄弟の2人芝居。アプローチの仕方は違えど、
演技をするうえで大切な要素は変わらないものなのだと、
この3日間のワークショップを受けて感じました。
 
ただその短い期間のなかで、どれだけ自分たちが準備してきたのかも
明確に出てしまうものだなというのも感じました。
今回は3日間のワークショップだから、ではなく、
常日頃の意識が大切なのだと感じました。

 

■吉田愛美
 
私は三日間のレッスンのうち、最終日の途中からのみの参加に
なってしまったため、本当に残念な気持ちでいっぱいです。
 
そのため私は、ふたくちさんがどのように演出なさっていたか
知らないまま、最後の発表会に出ることになってしまいました。
しかし、自分があの役をどのように受け止め、
演じてみたのかを見てもらえる機会となったため、
それはそれで嬉しく思いました。
 
私は周りの人たちと全く違う演じ方で、かなり深刻目に演じましたが、
他のグループをみて、一つの役に対してもたくさんの演じ方が
あることを見ることができ、とても楽しかったです。
 
人は日常、話す相手の言葉を聞き、それに対応して話しているのに、
演技になってしまうと聞けなくなってしまうことが多い。
そのため、演技だとしても、相手の話をよく聞き、
そのときの距離感だったり関係性を踏まえ、言葉(台詞)を発することが
大切だということを改めて理解できました。
 
今回、自分の準備不足もあり、自分の今の力を全て出すということは
できなかったので、この悔しさをバネにし、今後のレッスンだったり、
お仕事に全力で立ち向かっていこうと思います。
 
私は演じることがとても好きなので、
どんな役にも対応できる役者になっていきたいです。

 

■上山諒大
 
冷泉さんが不在のため、7月18日、25日、8月1日の3週に渡り、
ふたくちさんのレッスンを受けました。
 
最初に
1.アクションとリアクション
2.インプットとインテイクとアウトプット
3.ナチュラルとリアル
4.心理的演技と生理的演技
5.意味と心。
 
この5つのことについてホワイトボードを使って説明を受けました。
基礎的なことですが、なかなか難しいことだ、
と感じながら聞いていました。
 
特にリアルな芝居、ナチュラルな芝居、よく耳にする言葉ですが、
その演技はリアルじゃない、とか、ナチュラルじゃないよ、
と言われる度に悩み考えています。
 
どうしても台本をただ読んでいると、つまんない芝居に
なってしまいます。
僕はつまんないって言葉が大嫌いです。
同じ台本をもらっているなかで、人それぞれ感じ方が違い、
表現の仕方も違い、それが面白いのだと感じています。
 
人の演技も見ながらいいところは真似をして、
観ていて違和感のあるところは自分の考える演技を試したりして、
と観ていても学ぶことは多かったです。
 
僕は2日間しか参加出来ませんでしたが、
自分自身の課題も見つけることが出来ました。
セリフのひと言目が時々、ヌルっと入ってしまいます。
特に今回の演技のような、ぶつかり合うシーンは言葉を相手に
刺すようにしなさいと、ふたくちさんから教わりました。
 
他の人が演技している時に感じたことは、
相手がセリフを言っている時の受け方が大切だな、と思いました。
どのセリフをどう受けるか、セリフを言ってない時の心の動きを
観ている人に伝えることができる役者になりたいです。
 
もっともっとこれから勉強していきたいです。基礎を学びながら、
実践し経験して、たくさん挑戦してたくさんダメ出しをもらい、
少しずつ引き出しを増やしていきたいです。
 
また、普段の生活からアンテナを張って自分の感性を磨いていきたいです。
今回学んだ経験を財産にこれからもコツコツ頑張ります。
 
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