昔の教科書やノートや作文や日記や、夏休みの課題や修学旅行の写真や、そういった思い出のものを大掃除の度によく考えることもなく捨てがちで、(僕は掃除があまり得意ではなく日常の掃除をなかなかしないので、必然的に掃除といえば大掃除になる)あとあと、自分の過去の証拠ともいえるものの少なさに愕然とし、まあ俺は過去を振り返って感傷的になるほど弱い男じゃないんだぜ、などと方向違いの強がりで色々を捨てたことを正当化するのです。そうはいっても、モノをどでかいゴミ袋に突っ込む行動を無心で行えるほどロボットじみているわけではなく、やはり僕にもこれは捨てられない、これは残しておこう、という気持ちはあり、今僕の周りにある思い出のものは、そのような捨てられるか残るかというサバイバルを勝ち抜いた精鋭たちとも言えるのですが、その中で捨てるか捨てないかという判断が必要なく、ただ一択「残す」と言い切り、一生僕の周りにあり続けるであろうと確信している唯一のものがこの作文です。
これは僕が冷泉さんのレッスンに参加したはじめての日(3年前、21歳のちょうど今くらいの時期だったかと思います)に冷泉さんから「自分」というテーマを与えられて書いた作文です。冷泉さんともほとんどはじめましての状態で、まだお互いのキャラクターも関係性も定着していない最も不安定な時でしたので、おそらく自己紹介の意味も込められた作文だったのでしょう。
まさに初回ですから僕も相当な気合いが入っていたし、あなたがどんな人かは知りませんが俺はこういう男ですとほとんど喧嘩腰で、普段ならば行かないロイヤルホストで他のファミレスより価格帯が高いことを気にもせず、この作文を書くのに熱中したことを覚えております。
提出して冷泉さんのコメントがついて返却された時、このすらすらと書かれた赤い文字が僕の尖った心臓を静かに包んで、その鼓動を優しくおさめてくれた時、僕は真の理解者を見つけたのだと思ったものでした。
この人にだったら自分の何もかもをぶつけてもいいのだし、その全てを打ち返してくれるだろう、と僕は冷泉さんを単に芝居の先輩というだけでなく、この人とできるだけ長い時間を過ごしたいと切実に願い、また冷泉さんが死ぬまで願い続けていました。
これは僕の過去の証拠であると同時に、冷泉さんの過去の証拠でもあるのです。今読み直しても、この赤い文字がめらめらと立ち上がってくる幻想を見ます。冷泉さんが生きています。
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