ふと、冷泉さんに鰻をご馳走になった時の場面を思い出した。
日本橋の鰻屋に帽子を忘れたらしく、それを取りに行くついでに、少し呑むかと誘われた。
まだ事務所に入って、二か月半くらいだったろうか。
はじめてのサシ飲み。僕は緊張していた。
お店に入り、店員さんと少し会話をしながら、
ビールと肝焼き。漬物の盛り合わせ。
そして、うな重が出てきた。どれも美味しい。
食べる度に、美味しいです‼︎
その言葉しか出てこない僕に、
「もう、わかったよ」と言っては笑みを浮かべ、
そして続けて、冷泉さんは、
谷!スーパーとかの養殖じゃなくて、安いもので満たすんじゃなくて、しっかりお金を貯めて、「本物」を食べろよ。「お芝居」も一緒。名作を観ろ。
「本」も一緒。名著を読め。
ちゃんとお金を払って、いい舞台をみろ。
いくらでも、いいモノは教えてやるから。
真剣な目で伝えてくれました。
その冷泉さんの言葉は、僕の胸に刺さり、
そして、今の事務所に入って、よかった。
ここで、頑張ってみよう。そんな風に当時のメモ帳に、感想が残っていました。
僕の事務所では、冷泉さんが所有していたDVDを今でも自由に借りることができる。どれも名作ばかりだが、時にマニアックなものある。
ただ、それも観てみると、選んだ理由がわかる。そこに今でも僕は冷泉さんを探し、稽古時の言葉や表現が、ふと重なる時があると不思議で仕方がない。
たしかな記憶が生き続けている。そう思えるんです。
そもそも、この話を思い出したのは、
前回の旅の続き。冷泉さんが一人で通っていた
「南海」で聞いた話と重なったからで。
Barブランのママ、きわさんに紹介してもらい、
僕は「南海」に入った。
ドアの上を見上げると、黒田さんの絵がある。
ここにも、あるのか。
僕は思わず笑ってしまった。
そして、経緯を話した。すると、なみさんは「タイミングが良かったわね。
私ね半年くらい、お休みしていたのよ。」
ここでも偶然なのか、幸運に恵まれた。
あなたが座っているところに、
いつも冷泉さんも座っていたの。
冷泉さんは、いつも決まってカウンターの真ん中の席を好んで座っていたらしい。
普段は寡黙だけど、時折白黒はっきりと物申すところがあるわよね。
そういう所好きだったな。
それと、アマリア・ロドリゲスって知ってる?
僕はふと記憶辿った!
冷泉さんが話してた人だ!
知ってます!
ファドの人ですよね?と答えた。
そうそう、彼も好きでね。
子供のときにね、大人になったらリスボンに行くんだって思ったんでしょ?
そして叶えたのよね、その夢。
リスボンの話をする時は、無邪気な顔してたわ。
なみさんは、懐かしそうに言った。
それから色々聞けば、隣の女性がしつこく絡んだ時は、お前の話を聞きにきたんじゃないと言い返したり。
隣の男性客がパソコンで、曲や映像をコピーしているのを見て、アーティストに対して失礼だと説教をしたこともあったという。
俳優として、そしてアーティストとして、冷泉さんは「つくる」大切さを重んじていたことが伝わる話だった。
僕は次の店に向かう途中、『リスボン』を聴いた。
新宿の風を切りながら、リスボンを想像してみるけど、少し難しい。
いつか僕も行かなくては、そう決心した夜だった。
そして次のbarに向かう。
次に訪ねる場所は、これまた冷泉さんのお気に入り。
その時の話は、また今度に。
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