冷泉さん、語る。【前編】
冷泉さん(を)、語る。
冷泉「原稿書くの嫌だから、俺喋るから瀬戸が文字に
起こしてくれる?」
冷泉「酒、奢ってやるから。(笑)」
[talk words=’ (※1)
「⼀番冷泉さんに奢ってもらった男」
「⼀番ワークスタジオに⻑くいた男」
「⼀番ワークスタジオをクビになった男」(全て⾃称)’ name=“瀬戸 寛” avatarimg=“/reizei/wp-content/uploads/2021/02/153633564_3484632024982202_661795733340968129_n.jpg”]
冷泉さん、語る。【前編】
冷泉公裕「“らしい”ってのは、一番嫌だと思う。」

俳優さんっていうのは、
「台本をやらなくちゃいけない」
と言う使命感がある。
恐いのは、台本を丁寧に、
気持ちの丁寧じゃなく”形式上に”
丁寧にやっちゃうと一段落しちゃう
と言う所があって
後は慣れて来て回転がよくなって、
自分では凄くやっている気になるんだけど
実は僕はそういう芝居を
面白いと思ったことがないんですね。
ギリギリ忘れるか、忘れないか位の緊張感と
スリリングな物がある方が活き活きとする事を
いつも見ているので、
そういう状態を意識的に作る、
その為に台本がない方がいい。
台本は勿論あるんだけど、台本にとらわれない
台本の趣旨をどう使うかって言うことを
目指して稽古をする。
それらしい、何からしい、
例えば老人らしい、悪人らしい、
その何か”らしい”ってのは
僕は一番嫌だと思う。
本人の素みたいなものが、
じゃあ何もしてねぇじゃねえか、
と言われるかもしれないけれど、
実は、人の前に出るって事が
素じゃないんだよね。
その落差みたいなものが妙に動いた時に、
凄く光り輝いた俳優さんが
生まれるんですよね。
だから台詞を忘れたり、失敗した瞬間の
次の動きとか台詞が凄くいいんだよね。
だからって意図的にそういう事を作るのは
難しいんだけど、稽古の間でなるべく
その感覚を大事にしていくことですね。
その為には、台本台本って
言わない方がいいな、と。
最終的には、自分に出来上がったもので
違和感のないもが出来てきて、修正して、
物語的にこういう風にした方がいいなって
こっちで作っていって
あたかも自分の言葉で無理なくやった方が
見てる人には心地良いんじゃないかなぁって。
そういう芝居作り、アクティングの基本
みたいな事が、このワークスタジオで
出来ればいいんじゃないかなぁ。
(中編につづきます)