冷泉さん(を)、語る。
冷泉「面白く書きたいんだよね、木原は。」
この言葉は、私がワークスタジオに通って一年半ほどたったころに書いた作文に添えられていた、冷泉さんのひとこと。
作文は週一回のレッスン時に出すのだが、小器用な私は回を重ねるごとに手癖でこなすような作文を書くようになっていた。
新しく入ってきた若者が強い筆圧でごりごりと書いた無骨で読みづらくも熱い作文を提出するのを横目に、省エネでそれなりに面白く整理された(と当時は思っていた)文章を、パソコンのキーボードをタンタカターンと打って量産した。
するといつからか、60〜125点という大きな振り幅でついていた点数が、ある程度の点はもらいつつも100点の壁をなかなか越えられない…といったことが続いた。
そんな矢先のこの言葉に、自分の浅はかさを見透かされた気がして全身の血が顔面にぶわっ!と一瞬で集まってきたのを今も覚えている。
思えば、これが冷泉さんが前編でも言っていた、だめな『らしさ』だったんだと思う。
『面白い文章をかく』のが『私らしい』のだと思って、そういうルーティンを固めて、そこが目的で着地点になってしまっていたんだなぁ。
その後、私は固めすぎた『私らしさ』をほぐすべく、らしくない文章をごりごりと書いた。これまで苦手で避けていた恋愛についての話などを、梅干し食べた時みたいな顔して唸りながら書いた。そんな私らしくない作文は「木原の作文のNo.1でしょう!!good!」と書かれて返ってきた。
あるとき冷泉さんに「だいぶ緩んだよ」と言われ、確かに前より肩の力が抜けているのに気づいた。
『私らしい』から、ただの私になれたのかもしれない。
さて、「冷泉さん、語る。」
中編は『固めない』ことについてのお話です。
『固める』という言葉を辞書で引くと“外部から影響されないように固く守る”(例:国境・陣営)とあります。
では固めない、つまり緩めるとは、守らない、ガードしないということでしょうか。
冷泉さんは緩めるのが得意でした。記事中の写真も、リラックスして撮られることに構えていない。慌てて袖捲りを戻したり、顔に粉をはたいたりもしない。(ちなみに身体も柔らかく、開脚前屈でお腹が床にべたーっとついていました。)
この、ゆったりとした居住まいに至るには?
前置きが長くなりましたが、いよいよ本編です。
開脚前屈がテディベア座りで止まる瀬戸さん(※1)が撮影した写真とともに、じっくりお楽しみください。
冷泉さん、語る。【中編】
冷泉公裕「考えていると、相手とやらなくなる。」
“こうしなくちゃいけない”とか、
“こういう風に見えるだろう”とか、
計算で持ってくると、
つまんない物になっちゃう。
割と経験のない人の方が
ビギナーズラックで面白いものもある。
ただビギナーズラックは一回キリで、
二度三度作り直すと固まっていく。
ゲームを含めて、固めないで
もともと持っている発想みたいなもの、
直感みたいなものを大事にする。
後は相手と会話を丁寧に、正確にする。
“自分の役をやろう”とばっかり考えていると
相手とやらなくなる。
すると、会話じゃなくなる。
芝居の基本は会話だから、
場所があって、人が二人いれば芝居になる。
会話をどうしていくかってこと。
それを台本で、会話って言うと、
役をやることで会話になるんじゃなくて、
役と役じゃなく、役者と役者が話すことを
なるべく丁寧にやっていく
すると、実は最終的に役と役が
会話している事になっているはずだ、と。
(後編につづきます)
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