2012年、冷泉さんは縁あって、新宿・熊野神社のそばにある東京アナウンス学院でゼミを持つことになった。 まだ10代のみずみずしいフレッシュな学生たち。
ワークスタジオとはまた違う環境の中で、生徒たちにも「冷泉さん」と呼ばれて慕われていた。
学生たちに初めて会ったのは模擬オーディション授業。その合格者がゼミ生となる。
名前と短い自己紹介を順に披露するのだが、横並びの似た口調で、審査はとても難しかったと思う。
新人マネージャーの私には区別もつかず、冷泉さんや先輩の意見をきいてうなずくことしかできなかった。 結果10数人のゼミ生が決まったが、合格基準の見えない選定が私にはまだわからなかった。

半年後の発表会でみた生徒たちはまるで違っていた。 それぞれの子供時代の思い出をモチーフにした作品は清らかで明るく、 ひとりひとりにライトが当たっているようにいきいきとしていた。 冷泉さんがそれぞれの持っている小さな光を育てたんだと分かった。 学生たちが自由になっている。そう感じた。
「おれは教えないよ」と冷泉さんはよく言っていた。 授業でも、「ああするんだ」「これが正解だ」だなんてまったくで、 ゼミ生の輪に冷泉さんが入って、みんなでストレッチをして、からだを動かして、ときには美味しい物を食べる。 その時間の中で、それぞれの良さを見つけて、本人の気づかない間につんとつついて刺激してくれる。 今思えばそれは冷泉さんにも容易なことではなかっただろう。
2018年冬、ある夜に冷泉さんから電話がかかってきた。 少し前にあった若手発表会を終えての話だった。 「マネージャーが褒めてあげてよ。ここが良いよって言ってあげて」
俳優の魅力は個性にあると私は信じている。 小さな輝きをそっと押し出せる人になりたいと思う。
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