来週までに自分が知らない街に行ってきて感じたことをレポートにして、というユニークな課題を出されたことを思い出す。冷泉さんに教えてもらった色々は、「モノを知る」ということに集約していた。僕は冷泉さんのお題に対して、こう答えた。
どの街に行こうか。初めは人の交流が激しい繁華街を考えていた。田舎生まれの僕の感覚では、最も「東京」を感じるのは、ありとあらゆる人がぶつかりそうなほどの密着感で歩いている場所なのだ。そうなると、やはり繁華街。それに、人と人とのやり取りからは無数のドラマが生まれる。たくさん人のいるところに行けば、文を書くネタは尽きないだろう、そう考えた。一方で、東京に属しながら、東京っぽくない、むしろ田舎っぽい街はないのだろうかという疑問もあった。人通りが少なく、夜に出歩くような場所もない、でも名前は東京というようなそんな街はないのだろうか。繁華街の東京らしさは正直、想像がつく。だが、田舎の東京らしさはどんなものか。地方都市の田舎っぽさと同じなのか、田舎とはいえど、やはりどこかで東京らしさを感じるのだろうか。今回の僕には繁華街に行くより、その疑問を晴らす方が面白そうに思えた。かくして、僕は足立区保木間に足を運ぶこととなった。東京の最北端に位置する東武伊勢崎線、竹ノ塚駅からさらに北に30分。東京と埼玉の県境にある。
単に東京の田舎ということでいえば、もっと的確な場所があるのかもしれないが、ネットで各地を調べていると、保木間は東京随一の団地街だと書かれていた。団地。僕が中学まで住んでいた長野市には無数の団地があったが、東京に来て団地を目にすることがなくなったことを考えると、団地は地方都市の象徴なのかもしれない。また、団地そのものを久しぶりに見たくなった。あの独特な存在感。長野にいた頃はいつだって感じていたあの雰囲気を、今は忘れかけている気がした。保木間の団地。これが今回の僕の欲望を満たしてくれる所だと判断した。
竹ノ塚駅を降りると、いきなり両脇に団地が広がる。しかも一階部分は飲食店やスーパーが営業しており、もはやこの建物内だけで、全ての生活を送ることができる。バスが頻繁に出ており、住民たちはこのバスを利用し、駅と団地を行き来するのだ。今回は、駅から保木間の団地までの道のりをじっくり見たかったので、歩いて行った。時間は18時頃。駅の近くは、帰宅途中のサラリーマンや子供連れのお母さんがある程度いたが、10分ほど歩くと外を歩く人の姿は全く無い。駅から保木間まで3つ公園があったが、誰もおらず、静けさが広がっている。明かりは公園のトイレだけで、恐怖心すら覚える。怖いもの見たさにトイレを覗こうとしたら、横から野良猫が飛び出してきて、思わず声を上げてしまった。人のいる安心感。いつもはうるさいくらいに感じている人の存在が、この時ばかりは貴重に思えた。心細い。ど田舎のそもそも人口が少ない、過疎化が進んでいる場所の静かな夜はここまで怖くはない。それなりに人がいるはずなのに、誰も歩いていないのが怖いのだ。みんなが息を潜めて家にこもっている感じがする。僕は足早に公園を去り、保木間の団地に向かった。もう10分ほど歩くと、団地の一角が見えてきた。
保木間の団地は凄かった。団地には棟の横にナンバーがついているが、保木間団地は80と書いてあった。80棟あるということだ。無機質で均等な真っ白な建物が80棟。圧巻の存在感だった。だが、例によって人の姿は少ない。長野で団地といえば、棟ごとのコミュニティが形成され、お隣さん文化の強い、ある種、小さな村のような印象を持っていたが、保木間の団地を観察していると、どうやら違うようだ。団地に帰ってきた子連れのお母さんと、団地から外に出てきた男性の若者は、同じ棟に住んでいるようだが、それぞれ挨拶はおろか目も合わせなかった。建物は統一感が強いが、住んでいる人々は独立している。長野より仲間意識がない。均質なデザインの部屋に混沌とした住人。牢獄のようだった。人と人との交流が希薄な集合団地。やはり、ここは東京だった。
団地を久しぶり訪れて、蘇った記憶があった。中学3年の時、学校の昼休みに一個上のかわいい先輩から手紙をもらったことがあった。りくくんと仲良くしたいです。そう書いてあった気がする。そんなこと初めてだったので、今でもその時の嬉しさは覚えているが、何を書いたか、何が書いてあったか、その先輩とのやり取りはあまり覚えていない。ただ一つ、はっきり覚えているのは、彼女が自分の家について記したある一言だ。それは僕が先輩の家に今度遊びに行ってもいいですか?と聞いた手紙の返事だった。その返事にはこう書かれてあった。「ダメだよ。私、団地だから。来ないで。」甘いセリフの数々が記されていた中に一つだけ、ピリついた緊張感を感じさせる言葉だった。
当時も今も僕はこの言葉のリアリティを掴めていない。今、もう一度このセリフを言わせる原因をいくつか想像しても、僕の中で具体的に形づくることはやはりない。彼女は団地に住んでいることに劣等感を感じていたのだろうが、それはどんな劣等感だったのだろうか。1日、外から団地を見ただけでは掴めなかった。団地にはまだまだ深い底がある。今回はその底を淵から覗いた、そんな団地訪問だった気がする。
冷泉さんは僕のこの文章をとても評価してくれた。何かをつくったとき、「冷泉さん、どう思うかなあ」といまだに考えることがある。他人の評価を気にすると、ろくなものが生まれないけど、冷泉さんは僕と他人の中間地点でにこにこ笑っていた気がするから、冷泉さんは他人ではない。もちろん自分でもない。神さまみたいな。たしかに亡くなったから神さまなのだが。もっと現実的に神さまというか。わかりますか?僕の言いたいこと。ブログだから表現形態は文章になりますが、僕の文章は冷泉さんが見守っています。オカルトじゃなくて、かなり現実的に。
だから、このブログを読みましょう。冷泉さんはそこかしこに現れるはずです。
これから、どうぞ、よろしく。
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