「なんか、ポンユーみたいな感じだったもんな〜」
ん?今、何て…? 僕はマスターに聞き返した。
店を出て、駅へ向かう帰り道。
ふと、その言葉を思い出す。
そして唇を噛み締めた。
今から書くのは、その時の話。
クラクラ。Bar ブラン・ブラン。それから、南海と。
冷泉さんの足跡を探し続けてきた。
そもそもは、僕が師である冷泉さんを知りたくて、始めた旅。何が好きで、何を大切にしていたのか。どんな人達と交流していたのか。改めて気になった。
もちろん稽古中に、教えてもらったことは沢山ある。それから稽古以外でも、飯屋と呑み屋をはじめ、銭湯に舞台。レストランに古本屋。喫茶に神社。本当に色々なところへ連れて行ってもらった。事務所に入ったのが、浅い割には、図々しく頼み込み、連れて行ってもらった方だと思う。けど、それでも知らないことばかりだった。
それともう一つ理由がある。
個人稽古の最中のこと。いつも通り、ストレッチを済ませ、ワンツースリー(1から10のカウントを腹式呼吸を意識して、音程をそろえ、発声する練習)をしている時に違和感を抱いた。個人稽古を始めてから、約三年。はじめての感覚だった。
これでいいんだっけ。
自分に問いかけてしまった。
決して弱くなったわけじゃない。
どこか遠くなるというか、
なんていえばいいのか。
とにかく、一瞬わからなくなった。
見えない物体に押しつぶされてしまった。
やり続ける事が大切で、やり続けることが自信になる。冷泉さんが浅草サンボアで僕に伝えてくれた言葉は、実にシンプルでずっと心に残っている。
その意味も自分なりには消化して、信じてやってきたつもりだった。僕の稽古メニューは、冷泉さんが、試行錯誤して、たどり着いたもの。それだけは必ず続けよう。個人稽古を始める時に、最初に自分と約束した事だった。そして自分なりに必要だと思うところは、ボーカルレッスンの時にアドバイスをもらった丸尾さん、そして冷泉さんの師でもある加瀬玲子さんの本を読み、自分なりに足していった。
それでも、わからなかった。
何をどうしたらいいのか。合っているのか。
このまま続けていればいいのか。
僕が事務所に入った時の先輩も後輩も辞めていて、もういない。かといって、誰か事務所の人に相談する気も湧かず、淡々とこなし続けていた。小さなプライドなのか。今思えば、自分の中で解決したかったのかもしれない。結局そんな悩みも、神保町にある古本屋でバカボンを見つけ、立ち読みした時に見つけた「それでいいのだ」。その言葉に救われ、悩みは飛んでいった。
そんなこともあって、無性にお酒を飲みたくなり、そこで閃いたのが、冷泉さんを知っている人を訪ねてみようだった。よく飲みに連れて行ってもらった帰り道。少し寄ってくる。そう言い残し、冷泉さんは決まって新宿ゴールデン街に向かっていたことは知っていた。だから、僕はそこを旅の始まりに選んだ。
新宿ゴールデン街は、不思議な魅力で溢れている。
はじめましてから始まる堅苦しい挨拶もあっという間に溶けて、人と人とが交わっていく。その当たり前の中に、粋な温かさと付かず離れずの気楽さが漂っている。
冷泉さんが好きだった理由が、少しだけ僕にもわかった気がした。そして、いつの間にか、そんなことも忘れて僕も新宿ゴールデン街を好きな一人になっていた。
そのゴールデン街の外れ。一人でお酒を楽しみに行く時に寄るところが「かくれんぼ」というbar。
過去にも、このブログ内で紹介されていたが、冷泉さんの一番のお気に入りだった場所だ。
僕は南海に寄った後、このbarに向かった。
何人かに道を尋ねながら、やっと辿り着くことができた。なんともわかりにくい所。
細い階段を上がり、扉を開ける。
マスターに自己紹介をし、今回の経緯を話した。あまりに楽しくて、そして嬉しくて、
その日僕はほとんどメモを取るのを忘れていた。
翌日、メモ帳を読み返しても一言。
「かくれんぼに出逢えて、よかった」。
それと写真が2枚。
一つは、冷泉さんが調子がいい時にストレートで飲んでいたお酒、CALVADOS。
もう一つは、やっぱりここにもあった黒田征太郎さんの絵。(冷泉さんがプレゼントしたもの)
なんとなく、今になって嬉しかった理由を振り返ると、冷泉さんの話を聞けただけじゃない。きっと、マスターの泰司さんが冷泉さんに似ていたからだと思う。温かい笑顔と、芯のある頑固さが伝わる人。そしてハッキリと物申す姿も、どこか重なるところがあった。
結局、それから二ヶ月後。僕は再度、「かくれんぼ」を訪ねた。マスターの泰司さんに、初めて来た時は楽しくて、嬉しくて。ほとんど何にもメモも取っていなくて…。
もう一度、冷泉さんの話、聞いてもいいですか?
素直に伝えると、泰司さんは色んな話をしてくれた。
そもそもの出会いは、たまたまお店が暇だった時に、泰司さんが、近くの「三日月」に飲みに行き、そこのマスターが紹介してくれたことが始まりだった。
「バー近いなら、行ってやるよ」
その1週間後、冷泉さんはお店に来ると、そこからは気に入って、寄るようになる。
話を聞く中で、懐かしかったのが「くしゃみ」の話。
冷泉さんは、飲み過ぎると、くしゃみをする。
「泰司、これは風邪じゃないから」。
それが口癖だったようだ。
実際、僕も言われた事があった。
「谷、これは風邪じゃないからな」。
同じ思い出が、生きている。
うまくは言えないが何か嬉しかった。
思い出話は続く。
たまたま、店内にいた映画好きのお客が冷泉さんのファンで。何かの作品に口出しをした時。
「そこまで言うなら、ファンやめてもらっていいですよ」と。
泰司さんは、「冷泉さん、言っちゃって大丈夫ですか?」と聞くと、
「お前だって言うんだろう」と一言。
冷泉さんは、野暮ったいのが嫌いだった。
それから、ミーハーの客に俳優ですよね?
何か出てましたよね?
と聞かれると、スマホを指差して
「得意のアレで、探したらいいじゃない?」
冷泉さんらしい、言い回しで返していたようだ。
そんな思い出たちを語り終え、
泰司さんは、冷泉さんにさ
「お前の店、割といいと思うよ」と言われてさ。
それが今でも励みになってるんだよね。
その時の表情は、今までとは違って、
一瞬気の抜けた感じで。
優しい微笑みだった。
そして、続け様に、
谷くん、なんて言えばいいかな〜
冷泉さんはさ、
「なんか、ポンユーみたいな感じだったもんな〜」
ん?今、何て…?
僕はマスターに聞き返した。
ポンユー。そりゃ、知らないよな〜。
友達っていうか、ね(笑)?
濁した中にも、はっきりと見える関係性。
何よりも泰司さんも冷泉さんのことを大好きなのが、すごく伝わった。
ポンユーというのは、昭和期前半頃まで使われていた言葉で、「友人・友達」を指す言葉らしい。
「いい言葉ですね!」
そう言い返すと、泰司さんは照れ臭そうに笑っていた。
冷泉さんの好きだったお店を巡っていると、
いつの間にか、僕もその店を好きになっている。この感覚が、毎回続くのは何でだろうか。
この文章を書いている時も浮かぶのは、
冷泉さんに会いたい。その想いだけ。
ふと、その気持ちに帰ってしまう。
少し迷った時に思い出すのも、
「お前は眼と声がいいよ。そのままでいいよ。」
冷泉さんの言葉が心に残っている。
足跡を探して、たどり着いたゴールデン街。そこで冷泉さんが大切にしていた人達と出逢うことができた。そして不思議なことに、その人達や場所が僕に伝えてくれることが冷泉さんの言葉と重なる場面が何度もあった。
酒場は学舎。冷泉さんの言う通りだ。
俳優にとって大切なことは、どんな生活をしているか。
どんな人と出会ってきたか。何を大切にしてきたか。
つまりは、役者の生き方そのものが芝居に繋がる。
僕が冷泉さんを知りたくなった理由は、その答えに辿り着く為だったのかもしれない。
そう考えると、冷泉さんが稽古の中で、作文をやスピーチを大切にしていたことの意味にも繋がる。
ここに気付くのに、時間はかかった。
ただ言い換えれば、必要な時間だった。そして、この感覚が今までの僕を受け止め、自信を与えてくれた。
出逢う人。それから好きな場所。
そして、日々の感動や感謝も逃さないように、僕も冷泉さんのように”生き方”を大切にしていきたい。
冷泉さん
僕、やり続けます。
これからも、見守っててください。
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