フレームに納まる。これが俳優の力量というものかしら。
只今、今月末のプチ発表会に向けて、稽古しております。
松本龍平と木原陽子による「マクベス」のワンシーン。
稽古を見ている時にね、この二人こんなに表情豊かだったけ?なんて思う。
松本龍平は彫の深い顔のぼーっとした野球少年からイギリス人俳優??と一瞬だけ見間違える(まだ一瞬だけよ!)肉体と声に。
木原陽子は鉄仮面の冷え切った面していたけど、見つめる表情に血が通っている。同じ見つめる表情でも、物語ってくるものがある。そして、美しい。
二人とも、シェークスピア独特の長い台詞を普通に読む。ってこれ、なかなかできへんで。肚が出来ているのだろう。
冷泉さんが二人のアクションを整えたり、ポイントをつけたりする。
そして、常に「気持ちを大事に」「気持ちを持つように」「気持ちがあって行動するように」
セリフの中、行動の中の『気持ち』を常に意識するように。
決して、木原陽子が冷泉さんをいじめているわけではありません。
このショットが撮れた時に、ふっと思ったことがあるの。
「冷泉さんがフレームに入ると、その画が締まる。」
そして、無駄なショットがない。
長い間、俳優業をしている人の力量だろうか。
アクションに気持ちがはっきりあって無駄がないからだろうか。
アクション。無意味にアクションをすれば、それは無駄だ。
アクション。アクションをしなければ、伝わらない。
アクション。気持ちをもって、気持ちのままに、的確なアクションをする。
台本の中の登場人物がどういう気持ちなのか、それを表現するのが俳優か?
稽古を見つめている姿が、フレームに納まるのが俳優か?
俳優という存在がどういうものか。私は次章に入っているようだ。
かわさきみえこ